祖父の教え 2023年1月28日 2023年2月1日 WRITER 水口清一 この記事を書いている人 - WRITER - 水口清一 ◎ 龍ヶ崎市の個人開業税理士&1級FP技能士です。 定年まで東京国税局に勤務していました。 ◎ 業務は相続税申告が中心です。 ◎ 中小企業の廃業を少しでも防ぐため事業承継に取り組んでいます。 小学校6年の夏休みに父の実家に海水浴に来ていた。 瀬戸内海からの塩水の香りがする風がやさしくふき抜け、私は祖父の顔に深く刻まれたしわを眺めていた。 「学校は楽しいか !」 「ウン」 「朋友はいるか?」 「ウン・・・?」 朋友って何だろう? 知らない言葉だったが、なんとなくうなずいた。 「朋友は大事にせんといかんぞ!」 「ウン ? ? ?」 あとになって友達のことだと分かった。 私には友達はいなかった。 頑固で負けず嫌いの性格と小学校6年間で4回転校していた影響も大きかったと思う。 父はサラリーマンだったが転勤が多く、1年または2年で周りの人間が全員入れ変った。 四国は狭いとはいえ県が変わると言葉が違った。 ある時は田舎方言を馬鹿にされ、ある時は都会言葉で生意気だと言われた。 また教科書も転校のたびに変わり、前の学校では習ってなっかたところが既に終わっていたことが多かった。 担任はそんなことは気にもしていなかった様に思う。 そんなことをなんとなく思い出していると・・・ 「朋友を大事にせないかんよ!」 「人生は ウン ドン コン じゃよ 」 「ウン ? ? ? ? ?」 ほとんど意味は分からなかった。 数十年後の今、祖父の言葉が身に染みて思い出される。 目の前を通り過ぎる「運」を見過ごし、 繊細というか気が短く「鈍」ではなく過剰反応をする屁理屈屋になり、 何をしても長続きせず「根気」がなかった。 祖父は無学で百姓だったが、苗字、帯刀を許され、江戸時代の最後に参勤交代に足軽として同行したと聞いた。 明治になって市政がひかれ第一回市会議員に推された時の名刺を形見のように今も持っている。 祖父は賢い人でした。 この記事を書いている人 - WRITER - 水口清一 ◎ 龍ヶ崎市の個人開業税理士&1級FP技能士です。 定年まで東京国税局に勤務していました。 ◎ 業務は相続税申告が中心です。 ◎ 中小企業の廃業を少しでも防ぐため事業承継に取り組んでいます。 前の記事 -Prev- 殴られて腹も立たなかった不思議な体験 次の記事 -Next- 山の向こうを見たかったー小学5年の夏 関連記事 - Related Posts - 山の向こうを見たかったー小学5年の夏 水に浮いたー小学4年の夏 殴られて腹も立たなかった不思議な体験 最新記事 - New Posts - 水に浮いたー小学4年の夏 山の向こうを見たかったー小学5年の夏 祖父の教え 殴られて腹も立たなかった不思議な体験 - Comments - コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目ですコメント ※ 名前 ※ メール ※ サイト